時は奈良。大和の文化と大陸から渡来した華やかな文化がせめぎ合い溶け合った時代。平城京では大伴家持や恵美押勝らが、やまとごころや漢土(もろこし)の才(ざえ)について論じ合っている。大貴族である藤原南家の郎女は、当時の最も新しい文化――仏教に目覚め、称讃浄土経の千部写経を始めていた。彼岸中日の夕暮れ、郎女は荘厳な俤人(おもかげびと)が二上山の上にきらめき浮かび上がるのを見た。千部目の写経を果たした夕は雨、郎女はものに憑かれたように屋敷を出て、二上山のふもとまで来てしまう。そこは、女人禁制の当麻寺の境内である。

郎女は、この世への執心ゆえにさまよい続けている大津皇子の魂と出逢い、やがて皇子と俤人を重ねて見るようになる。郎女と皇子の魂は互いに惹かれ合い、郎女の一途な心は大津皇子のさまよえる魂を鎮めていく……。


『死者の書』の時代設定は、奈良時代。平城の都の文化の爛熟する一方で、疫病や疫災が流行し、 天皇の病気平癒を祈願して東大寺の大仏が建立され、開眼供養の行われた時代。 富と権力を取り巻く権力者達の争いが繰り返されていた。万物に霊が宿ると信じられていた時、 大陸からもたらされた仏教が、ようやく社会に浸透しはじめた時代である。